阿波狸合戦
- 読み
- あわたぬきがっせん
- 別名・土地での呼び名
- 金長狸合戦/阿波の狸合戦
- 種類
- 狸
阿波狸合戦(あわたぬきがっせん)は、江戸時代末期に阿波国(後の徳島県)で起きたというタヌキたちの大戦争の伝説。阿波の狸合戦(あわのたぬきがっせん)、金長狸合戦(きんちょうたぬきがっせん)ともいう。 四国に数あるタヌキの話の中でも特によく知られており、徳島のタヌキの話の中でも最も名高いものともいわれる。物語の成立時期は江戸末期と見られており、文献としての記録は江戸後期に出た写本の三種『近頃古狸珍説』『古狸金長義勇珍説』『金長一生記』だが、詳しい年代はわからない。講談速記本として世に流通したのは1910年(明治43年)に刊行された『四国奇談実説古狸合戦』『津田浦大決戦』『日開野弔合戦』の三冊とされる。明治時代から戦中にかけては講談で、昭和初期には映画化されて人気を博しており、平成期以降には徳島県のまちづくりの題材となって、徳島県民に親しまれている。
出どころ: ウィキペディア「阿波狸合戦」(CC BY-SA 4.0)。記事の冒頭の要約。
伝説
後述する金長神社の社伝や、徳島県出身の考古学者・笠井新也の著書『阿波の狸の話』から伝説を要約すると、以下のようになる。
天保年間(1830年から1844年まで)、小松島の日開野(後の小松島市神田瀬町)での話。大和屋(やまとや)という染物屋を営む茂右衛門(もえもん)という者が、人々に虐められそうなタヌキを助けた。間もなく、大和屋の商売がどんどん繁盛し出した。やがて、店に務める万吉という者にタヌキが憑き、素性を語り始めた。それによればタヌキは「金長(きんちょう)」といい、206歳になる付近の頭株だという。万吉に憑いた金長は、店を訪れる人々の病気を治したり易を見たりと大活躍し、大評判となった。
しばらく後、まだタヌキとしての位を持たない金長は、津田(後の名東郡斎津村津田浦、現・徳島市津田町)にいるタヌキの総大将「六右衛門(ろくえもん)」のもとに修行に出た。金長は修行で抜群の成績を収め、念願の正一位を得る寸前まで至った。六右衛門は金長を手放すことを惜しみ、娘の婿養子として手元に留めようとした。しかし金長は茂右衛門への義理に加え、残虐な性格の六右衛門を嫌ってこれを拒んだ。
これを不服とした六右衛門は、金長がいずれ自分の敵になると考え、家来とともに金長に夜襲を加えた。金長は、ともに日開野から来ていたタヌキ「藤ノ木寺の鷹」とともに応戦した。しかし鷹は戦死し、どうにか金長のみが日開野へ逃れた。
金長は鷹の仇討ちのため同志を募り、六右衛門たちとの戦いが繰り広げられた。この戦いは金長軍が勝り、六右衛門は金長に食い殺された。しかし金長も戦いで傷を負い、まもなく命を落とした。
記事の「伝説」の節から。長い節は700字で切っています——続きは記事で。