
茨木童子
茨木童子(いばらきどうじ)は、平安時代に大江山を本拠に京都を荒らし回ったとされる「鬼」の一人。茨城童子と書くこともある。酒呑童子(しゅてんどうじ)の最も重要な家来であった。 出生地には、摂津国(大阪府茨木市水尾、または兵庫県尼崎市富松)という説と、越後国(新潟県長岡市の軽井沢集落)という説がある。生まれた頃から歯が生え揃っていた、巨体であったなど周囲から恐れられ、鬼と化した後は酒呑童子と出会い舎弟となり、共に京を目指した。 酒呑童子一味は大江山(丹波国にあったとされるが、現在の京都市と亀岡市の境にある大枝山という説もある)を拠点にし、京の貴族の子女を誘拐するなど乱暴狼藉をはたらいたが、源頼光と4人の家臣たち(頼光四天王)によって滅ぼされ、茨木童子はその時逃げ延びたとされる。 その後、頼光四天王の一人である渡辺綱と一条戻橋や羅生門で戦った故事が、後世の説話集や能、謡曲、歌舞伎などで語り継がれているが、そのため本来は別々の鬼である羅城門の鬼と茨木童子がしばしば同一視されている。
出どころ: ウィキペディア「茨木童子」(CC BY-SA 4.0)。記事の冒頭の要約。
出生
茨木童子は酒呑童子と同じく越後出身との説がある。酒呑童子は蒲原郡の砂子塚(現・新潟県燕市砂子塚)生まれで国上寺の稚児だったが、茨木童子は古志郡の山奥の軽井沢(現・新潟県長岡市軽井沢)の生まれでやはり弥彦神社に預けられていた。同地には酒呑童子と茨木童子が相撲を取った場所があり、茨木童子を祀る祠がある。またこの地区は「茨木」姓が多く、茨木姓の家では節分に豆をまかない習わしがあり、また家の屋根に破風を作るとその家では不良が出るので作らないという言い伝えがあるという。
美男子で知られ娘たちから山ほど恋文を送られていた外道丸こと酒呑童子同様、茨木童子も美少年として多くの女性に言い寄られ、将来を案じた母親に弥彦神社に送られることになった。ところがある時弥彦神社から実家に帰ると、母が行李の中に隠した「血塗の恋文」を見つけた。その血を指で一舐めするとたちどころに彼は形相が変わり鬼となり、梁をつたい破風を壊して逃げていった。そのころ外道丸こと酒呑童子は、恋文の返事が来ないと悲観して死んだ娘のことを聞き、読まなかった恋文の入ったつづらを開けてみると異様な煙が立ち昇って気を失い、気づくと鬼へと変わり果てて寺から逃げて悪の限りを尽くすようになっていた。
酒呑童子と意気投合した茨木童子は舎弟となり共に周囲の村々を襲っていたが、そのうわさを聞いた母が、彼の幼い頃の産着を着けて茨木童子の前に立つと、茨木童子は急に子供の頃の想い出が甦ったか、「二度とこの地を踏まぬ」と約束して、酒呑童子とともに信州戸隠などを経て京へと向かった。
記事の「出生」の節から。長い節は700字で切っています——続きは記事で。