あやかしを視るα版
帷子辻(竹原春泉『絵本百物語』)
絵:帷子辻(竹原春泉『絵本百物語』)。竹原春泉、1841年(Public domain)出どころ

帷子辻

読み
かたびらがつじ
出る土地
京都府
出る場所
道

帷子辻(かたびらがつじ)は、京都市北西部にあったとされる場所。現在の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」付近と言われる。

出どころ: ウィキペディア「帷子辻」(CC BY-SA 4.0)。記事の冒頭の要約。

由来

平安時代初期、嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子(たちばなの かちこ、786年 - 850年)は仏教の信仰が厚く、檀林寺を建立したことから「檀林皇后」と呼ばれた。また貴族の子弟教育のために学館院を設けるなど、多くの功績があった。

伝説によると、檀林皇后はすばらしい美貌の持ち主でもあり、恋慕する人々が後を絶たず、修行中の若い僧侶たちでさえ心を動かされるほどであった。こうした状況を長く憂いてきた皇后は、自らが深く帰依する仏教の教えに説かれる、この世は無常であり、すべてのものは移り変わって、永遠なるものは一つも無い、という「諸行無常」の真理を自らの身をもって示して人々の心に菩提心(覚りを求める心)を呼び起こそうと、死に臨んで、自分の亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよと遺言した。

遺言は守られ、皇后の遺体は辻に遺棄されたが、日に日に腐り、犬やカラスの餌食となって醜く無残な姿で横たわり、白骨となって朽ち果てた。人々はその様子を見て世の無常を心に刻み、僧たちも妄念を捨てて修行に打ち込んだという。皇后の遺体が置かれた場所が、以後「帷子辻」と呼ばれた場所である。一説には皇后の経帷子(死装束)に因んだ名とされる。

「九相図」(九相詩絵巻)は檀林皇后(または小野小町等)の遺体が朽ち果てる様を九つの絵で描いたものとされる。

また詩書には「檀林皇后の御尊骸を捨てし故にや、今も折ふしごとに女の死がい見へて、犬鳥などのくらふさまの見ゆるとぞ、いぶかしき事になん」とある。

記事の「由来」の節から。長い節は700字で切っています——続きは記事で。