
お菊
皿屋敷(さらやしき)は、お菊の亡霊が井戸で夜な夜な「いちまーい、にまーい... 」と皿を数える情景が周知となっている怪談話の総称。 播州姫路が舞台の『播州皿屋敷』(ばんしゅう-)、江戸番町が舞台の『番町皿屋敷』(ばんちょう-、ばんまち-)が広く知られる。 日本各地にその#類話がみられ、出雲国松江の皿屋敷、土佐国幡多郡の皿屋敷、さらに尼崎を舞台とした(皿ではなく針にまつわる)異聞(『尼崎お菊伝説』)が江戸時代に記録される。 江戸時代、歌舞伎、浄瑠璃、講談等の題材となった。明治には、数々の手によって怪談として発表されている。大正、岡本綺堂の#戯曲『番町皿屋敷』は、恋愛悲劇として仕立て直したものである。
出どころ: ウィキペディア「皿屋敷」(CC BY-SA 4.0)。記事の冒頭の要約。
概要
古い原型に、播州を舞台とする話が室町末期の『竹叟夜話』にあるが、皿ではなく盃の話であり、一般通念の皿屋敷とは様々な点で異なる。皿や井戸が関わる怨み話としては、18世紀の初頭頃から、江戸の牛込御門あたりを背景にした話が散見される。1720年、大阪で歌舞伎の演目とされたことが知られ、そして1741年に浄瑠璃『播州皿屋敷』が上演され、お菊と云う名、皿にまつわる処罰、井筒の関わりなど、一般に知られる皿屋敷の要素を備えた物語が成立する。1758年に講釈師の馬場文耕が『弁疑録』において、江戸の牛込御門内の番町を舞台に書き換え、これが講談ものの「番町皿屋敷」の礎石となっている。
江戸の番町皿屋敷は、天樹院(千姫)の屋敷跡に住居を構えた火付盗賊改青山主膳(架空の人物)の話として定番化される。よって時代は17世紀中葉以降の設定である。
一方、播州ものでは、戦国時代の事件としている。姫路市の十二所神社内のお菊神社は、江戸中期の浄瑠璃に言及があって、その頃までには祀られているが、戦国時代までは遡れないと考察される。お菊虫については、播州で1795年におこった虫(アゲハチョウの蛹)の大発生がお菊の祟りであるという巷間の俗説で、これもお菊伝説に継ぎ足された部分である。
皿屋敷伝説の発生
皿屋敷の伝説がいつ、どこで発生したのか、「いずれが原拠であるかは近世(江戸時代より)の随筆類でもしかとはわからぬし、また簡単に決定できるものでもあるまい」とされる。三田村鳶魚は、本来、皿の要素がないため播州や尼崎伝説の由来を排すが、播州を推す者もあり、橋本政次は『姫路城史』において太田垣家に起こった事件が原点ではないかとしている。
記事の「概要」・「皿屋敷伝説の発生」の節から。長い節は700字で切っています——続きは記事で。