七人ミサキ
- 読み
- しちにんみさき
- 別名・土地での呼び名
- 七人みさき
- 出る土地
- 高知県
__NOTOC__ 七人ミサキ(しちにんミサキ)または七人みさき(しちにんみさき)は、高知県を始めとする四国地方や中国地方に伝わる集団亡霊。
出どころ: ウィキペディア「七人ミサキ」(CC BY-SA 4.0)。記事の冒頭の要約。
概要
災害や事故、特に海で溺死した人間の死霊。その名の通り常に7人組で、主に海や川などの水辺に現れるとされる。
七人ミサキに遭った人間は高熱に見舞われ、死んでしまう。1人を取り殺すと七人ミサキの内の霊の1人が成仏し、替わって取り殺された者が七人ミサキの内の1人となる。そのために七人ミサキの人数は常に7人組で、増減することはないという。
この霊の主は様々な伝承を伴っているが、中でもよく知られるものが、『老圃奇談』『神威怪異奇談』などの古書にある土佐国(現・高知県)の戦国武将・吉良親実の怨霊譚である。安土桃山時代、吉良親実は伯父の長宗我部元親の嫡男・長宗我部信親の死後、その後嗣として長宗我部盛親を推す元親に反対したため、切腹を命ぜられた。そのときに家臣たち7人も殉死したが、それ以来彼らの墓地に様々な怪異があり、親実らの怨霊が七人ミサキとなったと恐れられた。それを耳にした元親は供養をしたが効果はなく、怨霊を鎮めるために西分村益井(吾川郡木塚村西分、現・高知市春野町西分字増井)の墓に木塚明神を祀った。これが現存する吉良神社である。また『土陽陰見奇談』『神威怪異奇談』によれば、親実と共に元親に反対した比江山親興も切腹させられ、妻子たち6人も死罪となり、この計7人の霊も比江村七人ミサキとなったという。
また広島県三原市には経塚または狂塚と呼ばれる塚があったが、かつて凶暴な7人の山伏がおり、彼らに苦しめられていた人々が協力して山伏たちを殺したところ、その怨霊が七人ミサキとなったことから、その祟りを鎮めるためにこの塚が作られたのだという。
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