あやかしを視るα版
酒呑童子(鳥山石燕『今昔画図続百鬼』)
絵:酒呑童子(鳥山石燕『今昔画図続百鬼』)。鳥山石燕、1779年(Public domain)出どころ

酒呑童子

読み
しゅてんどうじ
別名・土地での呼び名
大枝/大江山/朱点童子/酒天童子/酒顛童子
出る土地
京都府
種類
鬼/童の怪
出る場所
山/道

酒呑童子(しゅてんどうじ)は、丹波国と丹後国の境にある大江山、または山城国と丹波国の境にある大枝(老の坂)(共に京都府内)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目。酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていた。文献によっては、酒顛童子、酒天童子、朱点童子などとも記されている。彼が本拠とした大江山では洞窟の御殿に棲み、茨木童子などの数多くの鬼共を部下にしていたという。伝承では酒呑童子は最終的に源頼光とその配下の渡辺綱たちに太刀で首を切断されて打倒された。東京国立博物館が所蔵する太刀「童子切」は酒呑童子を退治した伝承を持ち、国宝に指定され天下五剣にも選定されている。また源氏所縁の兵庫県川西市の多田神社が所蔵する安綱銘を持つ太刀「鬼切丸」も酒呑童子を退治した伝承を持っている。

出どころ: ウィキペディア「酒呑童子」(CC BY-SA 4.0)。記事の冒頭の要約。

伝説の概要

『大江山絵詞』(大江山絵巻)によるあらすじは次のとおりである。

一条天皇の時代、京の若者や姫君が次々と神隠しに遭った。安倍晴明に占わせたところ、大江山に住む鬼(酒呑童子)の仕業とわかった。そこで帝は長徳元年(995年)に源頼光と藤原保昌らを征伐に向わせた(あるいは正歴元年〈990年〉に源頼光に勅宣を出した)。頼光らは山伏を装い鬼の居城を訪ね、一夜の宿をとらせてほしいと頼む。酒呑童子らは京の都から源頼光らが自分を成敗しにくるとの情報を得ていたので警戒し様々な詰問をする。なんとか疑いを晴らし酒を酌み交わして話を聞いたところ、大の酒好きなために家来から「酒呑童子」と呼ばれていることや、平野山(比良山)に住んでいたが伝教大師(最澄)が延暦寺を建てて以来、そこには居られなくなり、嘉祥2年(849年)から大江山に住みついたことなど身の上話を語った。頼光らは鬼に八幡大菩薩から与えられた「神変奇特酒」(神便鬼毒酒)という毒酒を振る舞い、笈に背負っていた武具で身を固め酒呑童子の寝所を襲い、身体を押さえつけて首をはねた。生首はなお頼光の兜を噛みつきにかかったが、仲間の兜も重ねかぶって難を逃れた。一行は、首級を持ち帰り京に凱旋。首級は帝らが検分したのちに宇治の平等院の宝蔵に納められた。

地方伝説

酒呑童子は、一説には越後国の蒲原郡中村で誕生したという。また伊吹山の麓でスサノオとの戦いに敗れた八岐大蛇が出雲国から近江へと落ち延び、そこで富豪の娘に産ませたのが酒呑童子だという伝承もある。その証拠に、父子ともども無類の酒好きであることが挙げられる。

記事の「伝説の概要」・「地方伝説」の節から。長い節は700字で切っています——続きは記事で。

関わる神1柱

神の頁はやおよろずを辿るにあります。関わりは人が書いた表で、出どころを添えています。