鈴鹿御前
鈴鹿御前(すずかごぜん)は、伊勢国と近江国の国境にある鈴鹿山に住んでいたという伝承上の女神・天女。鈴鹿姫・鈴鹿大明神・鈴鹿権現・鈴鹿神女などとも記されている。後世には鈴鹿山の盗賊立烏帽子(たてえぼし)とも同一視され、女盗賊・鬼・天の魔焰(第六天魔王もしくは第四天魔王の娘)とも記される。その正体は伝承や文献により様々である。 室町時代以降の伝承はそのほとんどが田村語り並びに坂上田村麻呂伝説と深く関係し、平安時代の征夷大将軍としても高名な大納言坂上田村麻呂ないし彼をモデルとした伝承上の人物・坂上田村丸と夫婦となって娘の小りんにも恵まれる。
出どころ: ウィキペディア「鈴鹿御前」(CC BY-SA 4.0)。記事の冒頭の要約。
歴史
もとは鈴鹿山の神を鈴鹿姫と称して鈴鹿峠の東西や峠上に祀っていたものと考えられている。鈴鹿の地は斎王の群行が途中に設けた鈴鹿郡の頓宮が置かれ、豊かな水に恵まれていたことから斎宮が禊を行う鈴鹿禊の聖地であり、のちに巫覡の徒(修験山伏・陰陽師・巫女)が祓えをおこなった神聖な地となった。
山田雄司は、のちに斎王群行が鈴鹿峠を越えるようになると伝説的斎王とされた倭姫命を鈴鹿姫とみなして祀るようになっていったものと推測している。
伝説の概要
文明18年(1486年)に記された『壬生家文書』「坂上田村麻呂伝勘文」の田村すずゞかの物語の勘文から、この頃には室町物語『鈴鹿の物語(田村の草子)』が成立していたことが判明している。お伽草子『立烏帽子』は「立烏帽子は近江国鈴鹿山の池中の三島(蓬萊・方丈・瀛州)に御殿を造って住む女盗賊で、悪鬼悪黒王の妻であったが、討伐に来た田村の五郎利成と矢文を交わして計略により悪黒王を討たせ、田村とめでたく結ばれた」という梗概である『立烏帽子』は能『田村』から発展したものか、『鈴鹿の草子』の別伝として独立したものか定かではない。
現在一般に流布する鈴鹿御前の伝承は、その多くを室町時代後期に成立した『鈴鹿の物語(田村の草子)』や、江戸時代に東北地方で盛んであった奥浄瑠璃の演目『田村三代記』の諸本に負っている。写本や刊本はそれぞれ本文に異同が見られ、鈴鹿御前の位置づけも異なる。
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